力士像の埴輪が和歌山市にある井辺八幡山古墳から出土しており、 相撲はおよそ1400年前から始まったと考えられます。 そして、以下のように変革を続けています。 今では、モンゴル横綱の時代です。
動詞「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したものを元とする
格闘を意味する漢語です。
相撲により農耕の豊凶を占う行事であり、
農事の節目ごとに行われました
諸国の相撲人により御前相撲を行い、天皇への服従を確認します。
宮中行事の相撲節会として行われていました。
(相撲節会は承安4年(1174)に廃止)
15世紀に京都近辺の寺社で奉納相撲が始まり、
神社仏閣などの修復・再建のための資金を集めました。
江戸時代の初めには、京都、大坂、江戸で開かれていました。
江戸において勧進興行の解禁は(寛保 2年(1742))
「人に善根功徳を勧誘し、策進する」という仏教用語です。
江戸相撲・京都相撲・大坂相撲の各々が独立した相撲集団で、 春は江戸、夏は京、秋は大坂、冬は江戸で行う体制が確立しました。 また、諸国の大名は力士を抱えることもありました。
本場所のみを勧進相撲とよび、他の興行を花相撲と呼びます。
貞享元年(1684)、寺社奉行の相撲興行の条件が年寄による興行の管理であり、
勧進元(興行主)の雷権太夫ら14名が株仲間を組織しています。
これが、年寄名跡の始まりです。
今では、引退した力士が親方として相撲協会に残るために必要な資格となっています。
14名の内、今に残る年寄名は大竹(大嶽)、尾上、浅香山です。
現在は 105 (一代年寄を除く)
横綱の腰に締める白麻製の綱(これは七五三縄です)は、神の依り代であることの証です。
横綱が本来、心技体を備えた、邪気を払ってくれる生き神様なのです。もしくは、神と同格の象徴です。